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エミイの宝箱

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《 プアカヒナノ 》

ハワイ島ヒロの市街地を東に抜けると、黒い溶岩の岩場が連なる風光明媚な海岸に辿り着く。真っ白な波が沖合いで砕け散るダイナミックなビーチと道をへだてた片側は、 "KEAUKAHA" というハワイ人居留区である。熱帯植物が生い茂る区画された林地は、ひっそりと静寂で青々として美しい。歴史を感じさせる古屋ながらも、こざっぱりとした家々は修繕が施されてあって、たいそう気持ちが良い! "ハラウ オ ケクヒ" もこの一角に位置する。この付近には湧き水が点在し、透明度抜群な池や、ヒーリングスポットとされる "海水と淡水が混ざる浅瀬" もたくさんある。瞑想を伴う禊、いわゆる『HO'OMA'EMA'E 』を行うには最適な聖域で、カフナやクムフラらしき方にもしばしば相見るのだが、私にとっても、一人で半日過ごせるお気に入りの場所なのだ。
220302_01.pngさて、このビーチエリアの一つ "WAIULI" にある『PUAKAHINANO 』と名付けられた公園。元々ここには、比較的裕福な孤高のハワイアン "MALO" ファミリーが住んでいたが、1900年初頭、当主KAUIKOA'OLE MALO氏の子供達は、次々と伝染病チフスに罹患してしまう。南国の島で純粋培養されたハワイ人は免疫力が弱く、命を落としてしまう子供も少なくなかった。そのような状況下で、MALOは、決して親睦が深いわけではない白人医師リチャードから手厚い看護と治療を受け、家族が救われたのだった。時を移さず感謝の意を表し、私財を投じてこの地にケアウカハに住むハワイ人のための病院『PUAKAHINANO』を建てた。そうして、数多くの貧困なハワイアンの救済に役立ち、1949年ヒロ湾一帯を襲った津波にも耐えた立派な施設だったが、1970年に取り壊され現在跡地は公園となっている。後にクムフラ・ナラニカナカッオレの母イーデス・カナカッオレによって『NA PANA KAULANA O KEAUKAHA』"ケアウカハの名高い場所"という石碑が立てられた。
220302_02.pngところで....。ハワイの島々には、このケアウカハのように Hawaiian Homestead と呼ばれる先住ハワイアンを擁する地区が約50箇所ある。50%以上ハワイ人の血を受け継ぐ人々が暮らしているが、はて?擁する?ったって、元来、ハワイは全て先住ハワイアンの土地であったはず。いつのまにかMANAに溢れた聖地は、豪華なホテルやショッピングセンターへと開発され、土地所有観念が薄かった彼らは追いやられてしまった。結果的に "グレートマヘレ" などという言葉に乗せられてしまったカメハメハ三世なわけだが....。

30年前訪れた手つかずのまま輝いていたビーチが、近くのヘイアウも消えて、進入禁止の軍用地になっていた現実は、私にとって大きなショックだった。"奪う"という事、そろそろやめにしてくんないかな。

emiikatoo

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